
彼は建設業で働く技能実習生だった。まだ若く、故郷を離れ、日本に来た理由はとてもシンプルだった。働いてお金を稼ぎ、家族に仕送りをし、もしできれば何かを学び、将来に繋げたい――それだけだった。1年前、日本に来たとき、彼は多くの人と同じように、「努力すれば報われる場所に来た」と信じていたはずだ。
しかし、現実は違っていた。
日々の仕事の中で、少しのミスでも叱責される。それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。しかし、それは単なる叱責ではなかった。人格を否定するような言葉、繰り返される罵声。そしてある時から、それは身体的な暴力へと変わっていった。頭を叩かれる。硬いもので頭を軽く打たれる。それも一度ではなく、二度、三度と繰り返される。
彼はそれが間違っていることを知っていた。誰だって分かることだ。それでも、彼は反抗しなかった。弱いからではない。反抗することの代償を理解していたからだ。借金がある。家族が待っている。仕事を失えば、すべてが崩れるかもしれない。その現実の前では、痛みを耐えることが「合理的な選択」になってしまう。彼は殴り返さなかったのではない。殴り返すことができなかったのだ。
そのような日々が、1年続いた。
罵声と暴力の中で、「もう少しだけ頑張ろう」と自分に言い聞かせながら。しかし、ある日、彼は限界を感じた。彼は大きなことを望んでいなかった。補償も、責任追及も求めていない。ただ一つ、「会社を変えたい」と思っただけだった。暴力のない場所で、普通に働き続けたい。それだけだった。
だが、その小さな願いすら、簡単ではなかった。
彼は監理団体に相談した。しかし返ってきたのは、「自分で社長と話してください」という言葉だった。正しい手続きなのかもしれない。しかし、その「話す相手」こそが、彼にとって最も恐れている存在だった。
数日前から、彼は休みを取ろうとした。会社からは「書類にサインしろ」と言われた。何の書類か分からない。ただ不安だけが積み重なっていく。そして彼は思うようになった。「もしかしたら、自分は解雇されるのではないか」と。
そして、一つの問いが頭に浮かぶ。もし解雇されたら、別の会社に移ることはできるのか。あまりにも単純で、あまりにも重い問いだった。
私たちは今、「変わりつつある時代」に生きている。日本はかつてよりも開かれた社会になり、外国人労働者を取り巻く制度も改善されつつある。OTITや監理団体、厚生労働省、出入国在留管理庁など、多くの機関が問題の是正に取り組んでいる。暴力や搾取の問題も、以前より可視化されるようになってきた。
制度だけを見れば、確かに前に進んでいる。それでも、このような出来事は、今この瞬間にも存在している。なぜだろうか。制度が不十分なのか。それとも、問題は制度だけではないのか。
そこには「人」という要素がある。小さな家族経営の会社。限られた空間。外から見えにくい環境。そこで強い権限を持つ一人の存在。そして、立場の弱い労働者。こうした条件が揃ったとき、「指導」と「暴力」の境界線は曖昧になる。そして、それが繰り返されることで、やがてそれは「当たり前」になってしまう。本当に恐ろしいのは、一つの暴力行為ではない。それが「問題ではない」と認識されるようになることだ。
心理的な側面も見逃せない。長期間にわたり暴力や暴言を受け続けると、人は徐々に自分の認識を変えていく。「自分は被害者だ」という認識から、「自分に原因があるのではないか」という考えへと移っていく。それは弱さではない。生き延びるための適応だ。しかし、その適応は代償を伴う。自信を失い、感覚が鈍り、やがて「正常な状態」が分からなくなる。
もちろん、すべての企業がそうではない。多くの企業が真摯に外国人労働者と向き合っている。それでも、このようなケースが存在するという事実は消えない。そして、その「一つのケース」は、当事者にとってはすべてだ。それが現実であり、世界そのものだ。
これまで、さまざまな対策が取られてきた。相談窓口の設置、監査の強化、転職制度の見直し、NPOとの連携。確実に、何かは変わってきている。しかし、それがすべての人を救っているわけではない。医療に例えるなら、これはまだ「治療法を探している段階」に近い。さまざまな方法が試されているが、決定的な解決策は見つかっていない。だからこそ、試し続けるしかない。では、この社会は今、どの段階にいるのだろうか。
そして、もう一度彼の話に戻る。彼は正義を求めていない。制度の改革も望んでいない。ただ、そこから離れたいだけだった。その「離れたい」という願いが、なぜこんなにも難しいのだろうか。
この問題に対して、さまざまな見方があるだろう。会社の問題だという人もいれば、制度の問題だという人もいる。個人の問題だと言う人もいるかもしれない。
しかし、すべての議論を一度横に置いたとき、残るのは一つの問いだけだ。
もしあなたが彼の立場だったら、どうするだろうか。
そして、それがあなたの大切な人だったら、あなたは何を望むだろうか。